愛知での大雨被害は記憶に新しいところ。うちはハイエースのホイールが1/3も沈んでしまうということがあったものの無事でした。テレビで騒ぐほど、自分の身の回りには実被害はなく日々平穏~。なんて喜んでいると。練習会に到着するやいなや、なんと!ジムカーナの練習会場が土砂の被害にあっていてアスファルトは路面が土砂の白さでマーブル模様になっているではあーりませんか。
おっっ。絶句。しかしながらSRS愛知のスタッフみなさんのフォローとキョウセイ交通大学さんのご好意によって代替として広い練習会場をご用意していただくことができて無事練習となりました。マンスリーレーサーの自分としては一回でも練習が無くなると、長期走れない=体がライディングを忘れてしまう。という大きなダメージにつながるので、貴重な一回のチャンスを掴むことができました。ということで無事練習開始。
でも本日は疲れているので綴らずに就寝。
p.s.
スナップ写真は帰路の途中。
ジムカーナの練習の帰り道に、こんな夕日を何回見たことか・・・。
名古屋の夕日も綺麗だけれど、ああっ関東の夕日が懐かしい。
「日記」一覧
我が青春のハイエース
このスナップ写真は長野の諏訪市内にて、我がハイエースをパチリ。なんと、このハイエースは三代目なんです。今回は思い切って1.2倍の高速代もなんのその、中型貨物車のハイルーフにしてみました。積み下ろしも快適だし、バイク積まないときはダブルベットキットを積んでキャンプもOK。いゃぁ快適・快適。
夏休みの写真を整理していると一枚の写真が・・・。
我がハイエースなり。カッコイイ。うっとり。モデルチェンジを重ねる度にカッコ良くなるねぇ。なんと自分は生まれて始めてのボーナスで買ったものは、父へのお礼とか母への感謝の気持ちとかではなくハイエースでした(笑)
当時は100系も販売されていましたが、安かった中古車のH50系 (販売時期1982-89年)のCDバン。乗り出し価格で30万円ポッキリ也。あの頃は若かった。AMラジオしかついてなかったけど、ラジカセ積んで走ってたし(笑)バッテリー切れててても友達に押させて押し掛けスタートとかしてた(笑)若いって素晴らしい。バイクさえ詰めれば何もいらなかった。CDバンで満足していました。でも、そのうち動かなくなって買い替え。
そして2代目が、H100系(販売時期1989年-2004年)のハイエースDX GLパッケージ。これも好きだったなぁ。ジムカーナとダートトラックの活動を支えてくれた大切なトランスポーターでした。真面目に働いていっぱしの給料もらって、なんとGLパッケージもオプションで付けて。初めてCDのカーステ付けたりして。だんだん豪華な装備に憧れだしたのは、20代後半になってからかな。人間って贅沢ですねぇ。ブラウン管のテレビを積んで遠征していた彼も排ガス規制で、あえなく廃車に。
で、3台目がH200系(販売時期2004年~)です。彼は豪華です。ほぼ機能的にはフルオプ。そして家族と子供の為にGLのふかふかシートとかスワップして積んであるし。ミラーも電動だし。クーラーもツイン。贅沢の極みです。自家用車として使うならば、普通な装備も、トランポでは贅沢品ですね。一度知ってしまった贅沢はやめられないみたいです。人間って贅沢ですねぇx2。
ということで一つの車種で三つのフルモデルチェンジを迎えるなんて、凄いですね~。次は300系か?はたまた400系か?楽しみですねぇ。と思いをはせる。
自分の人生はハイエースと共にありって感じですよ。
あっ、ブログ書いている場合ではないなと・・・今は夏休みの写真を整理整頓中だった(笑)