2010年03月01日一覧

科学技術とは?

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 自分が成長するときに信じて疑わなかったもの、それは科学の力。ドラえもんの映画にでてくる悪役は、みんな不思議な力を持っていて悪用、しかしのび太達、彼らは不思議なポケットという科学を駆使して正義を貫いていたし、宇宙戦艦ヤマトだって、テレサの住む星の科学の力で地球を住める環境にしたのである。
僕は科学は人の為になる素敵なものだと思い込んでいた。
 でも今日、アバターという映画を見て、なんか科学が無性に嫌になった、ものすごくね。この映画の中に出てくる科学は幸せそうに見える生活を壊すことしかしないのである。まったく迷惑な力である。もちろん遠い星の彼方にマクスウェルの法則を超える半重力物質があって、その物質を地球に持ち帰り研究することで、科学が格段に進歩して
すなわち更に衣食住も豊かになることが簡単に想像できたとしても、やはり、この映画のように価値観の違う場所で、自分達の価値観を押し付けるのは如何なものか?
 どんなことがあっても緑を燃やしてはいけないし、その惑星や土地に住むの人々の生活を壊してはいけないよな。ふと思った、我が地球の歴史も科学さえなかったら、火薬もないし、飛行機や船も無いし、戦争も地球の環境破壊も無かったのではないか?貧しくとも寿命が短くとも、実は人間らしい生活ができたのではないのだろうか?
科学とはなんぞや?
 ドラえもんのような科学が平和に繋がるというメッセージを真に受けて、小学生の頃から、自分も科学者になることを目指してきた。科学が進歩すれば、趣味も楽しくなるし、衣食住も豊かになる、緑や木々だって科学の力で復活できることを信じて疑っていなかった。でもアバターの映画のように、科学の進歩が武力となって迷惑を生んでしまうような一面もあるのだなと今気がついた。
果たして自分が生んだ製品達は科学の小さい歯車となって、本当に幸せを生んでいるのだろうか?
 将来、戦争が起きてしまったならば、間違いなく私の製品は、どんな小さいな影響力であろうとも、加担しているのである。恥ずかしながら、研究職の端くれとして何年も勉強して、すでに科学技術で16年も飯を食べている38歳の自分は今そんなことを考えた。私のような科学者なんて呼んではいけないほどの端くれだし、微力すらないエンジニアであるのだけれど、自分がアバターのような境遇に会ったならば、率先して平和をうたおうと思った。残りの人生は科学の進歩をこの目で見たいという興味本位だけでなく、多様な価値観を失うことの無い平和で幸せの為に使える科学であることを目指して生きたいと思った。