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自己実現という言葉

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 自己実現理論とは、アメリカの心理学者マズロー氏が「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定して、人間の欲求を理論化したものである。その中で「自己実現の欲求」とは、 自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求であると定義している。wikiより
 この自己実現という言葉を聞いたのは、研究部に配属される前にいた設計部の上司からである。その上司は人に厳しい。でも自分にも厳しい人であった。そんな彼がもくもくと殺人的なスケジュールとボリュームをこなす姿を見て彼に、なぜ仕事をしているのかときいたことがある。そのとき彼は「私は、今の仕事に打ち込むのは自己実現の為である。」と話していた。
 そのときは、この自己実現という言葉の定義をしらなかったので、なるほど、目的はビジネスでの勝利であるけれど、その本質は自分の為だから、がんばれるのだなぁと、そのときは解釈していた。
 でも、この言葉は奥が深かいことを後日知ることになる。それから数年後、ふと自己実現という言葉を調べてみると、一つの体形化された理論の中のあるフェーズであったことを発見した。かのマズロー氏は、人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動する、その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行すると定義した。
 その順番は、生理的欲求「生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求」、安全の欲求「 衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求」、所属と愛の欲求「集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求」、承認の欲求「自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求」、自己実現の欲求「自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求 」という五段階に分けられる。
 そう、上司が話していた自己実現とは人間の欲求として、一番高尚なものであった。彼のセリフは素晴らしいものであったのだ。では、私は何を求めているのかと考えてみると、私の場合、まだまだ「承認の欲求」のレベルを脱していないかもしれない。まだ純粋に「自己実現」の追求をしているまでは到達していないことに気がつく。んーっ仕事というか、研究者=エンジニアとしては、まだまだ青いなと思う。
 では一方、バイクやレースに関してはどうなのか?やはり、これだけは「自己実現」の領域に達しているのではないかと思う。なぜならば、今はレースやクラブで認められたいという気持ちは、強くなく、自らのライディングやセッティングロジックにおいて、客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、純真で自然な自発性などを求めて走っているからである。やはり、そうなれているのは、過去積み重ねてきた走りの結果、私のプロフィールにもあるように、きちんと目標に対する成果が達成できているからだと思う。
 今日、私が仕事の成功のために図書館で技術を養い、明日も図書館に行こうと駆け足で走っている姿を冷静に分析すると、まだ「承認の欲求」の段階を抜け出ていないからてはないかと思う。私がレースで培った持論で言うと、戦って勝たないと、満足感が得られず、欲求の到達、すなわち次のステップにいけないと思うので、がんばって、結果を出さないといけないのである。今のプロジェクトをなんとしても、達成せねばなるまい。
 しかし、自分の才能を信じて戦うというのは、素晴らしいことである。過去のレースでもそうであったように、目標とは達成したときが一番の楽しさと充実間があるわけではなく、実は到達段階が一番充実しているのである。その考え方に間違いはない。そう、今現在、私が目標に向って走り続けることができているのは、一番良い時を過ごしていることに、間違いはなさそうである。そんな人生を送れるストーリーに感謝。そして、もっともっと、がんばらなければならない。私は明日も図書館でプロジェクトの駒を進めよう。
 そんな切り口で、人生を分析して、日記に綴って、本日も就寝。


研究職とは話をリアルで実現できる創作作家である。

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 そろそろ撮り貯めた写真も品切れ。本日の写真は駐車場に止めてある愛車のCBR600RR’07をパチリと撮った、ゆるゆるなアングルとフレーミングの一枚です(笑)話変わって、本日のタイトル「研究職とは話をリアルで実現できる創作作家である。」について、とりとめもなく綴ります。
 仕事は新しい技術を研究したり導入したりする研究職というものなのですが、大抵は過去に自社ではやったことがない、経験がないことを、自らが率先して行うという内容です。いつも、たぶん、こうなるだろうな?という仮説を立てて、実験・評価して出来るということを証明する。そんなことの積み重ねで、物や技術が成長していくのです。
 まぁ基本的にその流れは、設計職だろうが、研究職だろうが、営業職だろうが、同じアプローチだと思うのですが、私が思うに研究職というものは、その結果や成果で満足せずに、なぜ、そうなのか?を追求するからこそ、研究職であるのではないかと思います。
 その、なぜ、そうなのか?を追求すると、考えていた仮説のロジック(考え方)とは違うのに、答えだけは同じだったなんてことに気がついたりします。ときには、数式をミミズのように並べて自己満足に浸ることもありますが、大抵は、実はもっと簡単な理屈でできあがったりしていることに気がつくのです。そこで本当っぽい理由というものに突き当たると技術が成熟していくのですが、同時にその技術の先は成長が見込まれるのか?商品にある為の資質が、その技術にはあるのか?なんてイメージが更に沸いてきます。
 今している仕事も、例外なく始めてすることばかりで、そんなプロセスで戦う私がいます。そんなこんなで仮説・検証・仮説と繰り返していると、本当は研究の技術者とは名ばかりで、私はただの創作作家ではないのか?と思うときがあります。
 赤頭巾ちゃんが、狼に食べられてお腹からでてくるというストーリーは、ある物質を合体させて、分解するとき、今までにない特徴の物質になる。みたいなイメージと同じなのではないかと思います。もちろん赤頭巾ちゃんが、食べられてしまうまでの巧みなストーリーが構築されているように、新しい物質が発生するまでのストーリーは巧みにできているのですが、基本は同じ。やっぱり創作作家と研究職とは、おなじだなと・・・。大切なのは、みんながリアリティを持って感動するストーリーが創作できるかどうか?です。いわば、新しい技術で、みんなが行けると思ってくれるかどうかです。
 あっ、もしかしてバイクのマシンセッティングも・・・同じロジックかも。なんて話が飛躍してみたくなりますが、あまりにもとり止めがないので、今日は就寝しましょう(笑)
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