2008年09月一覧

次のステップ

IMG_1268.jpg
 CBR600RR’07納車から268日経過して、ようやくマシンにも慣れ、二輪ジムカーナ自体の練習やパイロンワークにも慣れてきました。慣れとは恐ろしいもので、最初は滑りもしなかったタイヤですが、最近は八の字で開けるときリアは小さな砂利にのってスライドするし、ブレーキングするときはグリップの限界を確かめながら、タタタタっていうまで攻めている自分がいます。やはり、そろそろタイヤが必要なのでしょうか・・・。
 話変わって写真は、前回のSRS愛知さんの自由練習でのスナップショット。お握りテールのRZRを見るとは懐かしさいっぱいですね。そして、写っているマシンの全てが2ストだったりするところも「峠を攻める」という言葉に青春を感じるOver35世代には、懐かしさに浸れます。
 またブログのトップページを少々改造しました。本日は2008年09月18日、中部D杯R1から145日経過、中部D杯R2から61日経過、SRS愛知自由練習まであと17日です、中部D杯R3まであと45日です、CBR600RR納車から268日経過という自動更新のメッセージプログラムをしてみました。少ない練習と大会の機会なので、毎日時計代わりにカウントされる日数を見てメリハリのあるレース生活を心がけようと思います。
 本題に戻って、最近タイヤがブレイクする感触を得るようになりました。理由を紐解くと、一つは慣れと共にライディングがラフになってきている。一つは、走る速度にタイヤの性能が追いついていないこと。の両方だと思われます。特にキョウセイ大学会場のように、荒れている部分とグリップの良い部分が混在しているコースの場合は、そのスリッピーなところで、同じようにハードなライディングをしたときに滑ってしまうといった感じですね。
 そして最近はようやくストレートパイロンスラロームがいくらでもスピード上げられるようになってきました。経験の浅いNSRライダー達の後ろならば、なんとか着いていけるようです。またローハンドルのバイクなので、進入したら抜けられないというセクションも数多くあったのですが、だんだんと苦手意識も薄くなくなってきました。レース本番の一走目では、前回のように迂回せずに攻めてもいいかなと思えるようになりました。
 130%とか140%とかで戦っている自分なので、10秒程度は短縮できる予感です(笑)と前向きでノーテンキな自画自賛は置いといて、次のステップに必要なものは何か?日々の生活の中で考えてみたところ、練習の仕方の変更だという結論になりました。
1.セッティングの良し悪しの判断をタイムで行う必要がある。
 そろそろタイムで詰めていく時期になったと思います。いくつか走りやすい設定があったときに、どれを選択するべきか?フィーリングと共にタイムを指針とする必要がある。SRS愛知さんの練習計測システムを毎回設置していただければ助かるなと思う今日この頃。中部でトップに立とうと思い、育っていくライダーさん達にも、効果があるのではないかと思う。東京のように、多くの人が計測システムを持っていて開いたスペースがあれば時間を計って、感触を掴むという練習ができれば良いですね。
2.ライディングの良し悪しの判断をビデオで行う必要がある。
 やはり自分では見えない体位のロス、無理な姿勢などを客観的に見て変える必要がある。マシンの挙動、ライダーの動作、そろそろ確認して理想のライディングを目指したい。カッコ悪いライディングを強制したいってのもあるしね。これは簡単ですね。練習会に三脚とカメラを持ち込んで自分取りをすれば良い。次回の練習で晴れたら実行です。
3.苦手を克服する。反復で得意を増やす。
 コースのパターン、セクションのパターンはある程度の切り替えしパターンとブレーキパターン、間合いの組み合わせとなります。その基本パターンを一つづつ再現して走って苦手な部分を克服する練習が必要です。できればフリースペースのような場所でパイロンを数本持ち込んで、一つずつ試しながら練習する機会が必要です。昔のお台場での練習ではフリースペースがあって自由にコースを作って走った経験があります。できればSRS愛知さんも、名古屋のポートメッセの駐車場みたいに、大きな空間を個人が個々にセクションを作って学べる、フリースペース練習会をして欲しいと思う今日この頃です。たとえばですよ。駐車上にガッツセクションを10個作って、好きなセクションを好きなだけ走れる練習会なんて素敵ですね。中部全体のスキルアップになれば理想ですね。
4.最後に、無理を安全にしなければならない。
 先述のようにタイヤという機能の性能的限界も見えて来ました。まだまだ今のタイムならば素直なライディングを志すだけで、上がっていくとは思いますが、やはり完全ノーマルCBR600RR’07でシードレベルの走り、いわゆる次のステップへ進もうということになると無理をして、なぜ無理なのか?を感じる必要性があります。どーすれば無理しなくとも大丈夫なのか、それは経験しないと掴めないことも多い。その為には、無理しても安全であること。簡単に言えばコケても良い状態にする必要があるってことです。そろそろプロテクターという装備を真剣に考える必要がありそうです。ぶん田さんのDRZの足挟みガードみたいな発想ですね。やっぱSSBを考えないといけないかも。でもカウルは捨てたくないなぁ・・・。
ということで、今の自分に何が必要であるのか?とりとめもなく綴ってみました。久しぶりに二輪ジムカーナのライディング向上を目指して、一日一膳の作業も、お終い。
本日も就寝。


子供の成長、僕の成長

IMG_1255.jpg
 このブログ。サブコンセプトは「パパライダー走る。」そうでした、テーマは育児だったりします。今日もオートキャンプに続いて育児について綴ってみたいと思います。
 いやぁ、しかし幼児と暮らすって、想像していたよりも、日々の生活・現実は大変である。片言しか言葉が喋れない子供と生活するのは大人と言えども忍耐が必要であるとつくづく思う今日この頃。
 彼らは本能のままに、興味のままに行動する3歳児。バイク以外のことに対しては、気の長い自分も、ときどきプチ切れる。イライラが募っていると普段しないような行動をしちゃう自分がいます。
 混んでいるときに車を前に入れてあげるような親切な行動、電車で席を譲るなどの譲り合いの心、日々の生活で、いつもしようと心がけている行為もできなくなる自分がいます。そんな譲り合いや親切な行動ができない自分に嫌悪感を抱くことが、最近はしばしばある。
 また子供が自分の注意を聞かないときに、思わず叩いてしまったことがある。でも子供を叩くと手のひらも痛いし、何より叩いた後は心が痛い。特に怒っても、叩いても、なついてくる子供を見ていると、叩いた自分に更なる嫌悪感を抱く。
 もともと社会のルールなんて大人が生活しやすいように決めただけであって、子供からしては真理なんてどうでも良くて、今は知識の探求行動が欲するままに真実を知りたいだけなのではないだろうか?本当はルールを守っていると思い込んでいる自分が窮屈な生き方をしているだけなのかも知れません。
 そういえば、よく親は子供と共に成長するという言葉を聴くけれど、今まさに実感している。子供の成長に翻弄されるような経験は、自分の毅然とした態度で生きるための勉強となっていると、つくづく思う。この試練を乗り切れたらば、もっと社会に対してやさしい自分の器がつくれそうな気がします。もっと大らかな気持ちで生活ができる器が育つかもしれません。
 子供と日々の生活での、すったもんだは自らを問いただす良い機会なのかもしれませんねぇ。彼らとの戦いは自分を磨く貴重な経験なのかも。と思いつつ今日も性懲りもなく子供に対して「おーまーえーなーぁ・・・」と、ピクピクとコメカミ引きつり笑顔を作る自分。
 うーん。かっこ悪い。
 最後はバイクのライディングにつなげてオチをつけようと思ったけれど・・・。つながらない・・・ねぇ。まぁ、いいか。オチなくても。書きたいこと書いて、本日も就寝。