YouTubeの継続可否を考える 3

この1年間、ワインディングを走るために必要なライディングとマシンは確実に進化している。恥ずかしい話だが、レースでいくらタイトルを取っていうようが、マシンの挙動を1mm単位で感じる感覚を持っていようが、ストリートにおいては素人同然である。ワインディングはマン島のように上手に走れないし、交差点のようなタイトな簡単なコーナーでさえフルバンクに持ち味めない。まぁできないから安全ではあるのだけれどw もちろんその安全とモラルとルールの範囲ではあるのだが、確実にコントロール領域が上がっている。50歳の目も体も衰えているおっさんなのに。

このモチベーションというのは、何からやってきているのであろうか?走行動画を美しく撮りたいが為のライドの積み重ねで得た副産物か?それとも先に日々の追求からくるライディングの探求の先に美しい動画が撮れているのか?両軸のバランスがわからない。動画のMCを見ると自分でいうのは恥ずかしいが、かっこいい。ワインディングの体の動かし方、段々と上手になっていくライン取り、エンジンの回転数を自由にコントロールしている抑揚感。GoPROの使いこなしと、動画編集ソフトの使いこなし、編集のセンスと相まって、非日常にバイアスがかかり、リアルの自分以上にカッコ良く映る。動画を撮るひと手間は、写っている自分に対するエフェクト的演出と相まって、もっと高みへ登りたいと心が抑揚するのである。

さてこれはリアルなのか、フェイクなのであろうか

続く