バイクとの濃密な時間

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 写真はとあるトンネルの入り口での撮影。車の通りが極端に少ないといっても、さすがにバイク1台だけで斜線の真ん中での撮影は怖いので、写真の構図は妥協して左側に停車して一枚パチリ。でも雰囲気は十分味わえる一枚に。
 今日、会社から帰宅すると、東京の先輩の日記に「20年前の自分と今の自分はどちらが速いのか?」という記事があった。うーん、自分は20年前は18歳でFZR250’87に乗って峠で速く走りたいなんて思っていたけれど、速く走れずに挫折していた頃ですね。膝もカッコよくすれないし、コーナーもストレートも遅くて、どーすれば速く走れるのか?なんて迷ってた頃でもあります。実はそれから自分のライディングのコアを手に入れたくて欲しくて競技をやろうと決意する自分がいる。なんてことは露知らずの時期のことです。
 そんなヘタレな時期なので、さすがに今の自分がCBR600RR’07にのって走れば、間違いなく勝てる。ひとコーナーで十分にちぎれると思います(笑)が・・・、彼に勝てないものが一つありますね。それはバイク中心の生活、買い物、故郷への帰宅、通学、全ての移動にバイクを使っていた時期ですね。
 バイクがあれば、それだけで満足だった生活、バイクとの濃密な時間。そのバイクとの二人三脚な生活は、今考えても素晴らしい生活でした。ビデオデッキや電子レンジもバイクで会に言ってタンクに乗っけて帰ってきたり(笑)何でもバイクでしていたという記憶は、思い出すだけで微笑ましい思い出です。
 先輩の日記には「そのときの無謀だけど、一番乗れていた自分と一緒に走りたい」と記載がありました。そーですね、私的にはレプリカバイクでスーパーからネギ背負って買い物している18歳の自分の姿を見てみたいですね。
 まだ競技に挑戦して目が三角形になっていない時期の私がいます。そのころは、バイクに乗っているだけで、カウルの形がカッコいいだけで幸せでした。一度峠遊びで挫折しているので、速く走りたいという強迫観念がないときの頃。
 そんな速さに関係なく、マシンに跨っている自分を見てみたいですね。そう思うと、若かりし頃から、速さと向き合って走っている先輩達に比べて、もともとのスタートは軟弱だったようですね。しみじみ。
 でも速さ中毒に掛かったことは、後悔していませんよ。だって速く走る必要性がなくて、カッコよさだけを追い求めていたら、たぶんバイクを続けてこれなかったかもしれませんからねぇ。また自己実現がレースによって達成していなかっただろうし。
 でもでも、そんなこと言いながらも、もしかして速さに取り付かれていなければ、今頃ハーレーとか、ツアラーとかに跨って、優雅にツーリングをしていたのかもしれないと思うと、それも良いかなと、ニヤニヤと妄想に更けたりして(笑)
 そんな取り留めのないことを、またもや綴りつつ、本日も就寝。おやすみなさい。