2020年01月一覧

時代背景 YZF250

さて一つ綴る必要がYZF250です。FTR233で走っていた時、初めてYZF250を見たのは、おそらく2001年ですね。当時、桶川で新車にサスをローダウンしたものをテストしている人がいました。その後、レースや練習でよく会う仲間でした。当時、モトクロッサーをダートトラックで使っていた人はそんなにいなかった。作ったらわかるのだけど、似たようなディメンションにして走り出して見ると、めちゃめちゃ神経使うマシンになる。FTRやMFTは寝かせようが立たせようがしっかりとタイヤは路面を噛み、スライドする瞬間も滑らかで制御することが自由自在なのに対して、モトクロッサーベースのダートとラッカーは素人が作ると、氷の上を走っているかのごとく走る。そんなことがあって、誰もがすぐに手に入れて走ると言うことができなかった。そんなこともあって、FTR250を手に入れる人達が、選択肢としてYZF250に手を出す人は少なかったんだと思う。YZF250で参加した練習仲間があっという間に茂木のエキスパートになって勝っちゃうまではねw 続く


時代背景 FTR250

MFT250が発売される1年前、ダートトラックと言えばFTR250を手に入れると言うことが必達でした。誰もがダートトラッカーを自作できるわけではないし、自分が必要なディメンションやサスを作れる経験を持ってるわけではないので、みんな乗っていました。しかし1989年に生産中止となり、その後、スカチューンブームなどを経て10年が経っていたので程度の良い球数がなかった。本当にしっかりと作るのであれば程度の良いフレームを手に入れるために一台購入して、XRのエンジンを載せ替えて、メンテナンスをする。もしくはレースで使用していたものを使わなくなった先輩たちから譲り受ける。いずれにせよ、コンディションは良いと言うものは少なかった。現役で走っていたレーサーでさえも。でもFTR250はダートトラックを学ぶ上で必要だった。ポジション、ディメンション、タイヤ、一通りがある程度出来上がっているので、ダートトラックのディメンションでのレーススタイルを学ぶのことが簡単にできた。FTR233でも良かったのだけども、一点だけ、パワーが無かった。自由自在にパワーでスライドさせて、クリッピングポイントでリアドライブに切り替えるなど、マシンを扱うにはFTR233ではダメなのです。もちろんノービスでFTR233で勝とうと思えばちゃんと勝てますが、勝ち負けではなくライディングの型を作り上げるのに必要だったのです。続く