二輪ジムカーナにおけるライディング理論とは、端的に言うと「セッティングすなわちディメンションの変更によって人が感じる挙動と物理的(理論的)な挙動の定理化(整合)である」と思っています。
・・・と突然、難しそうな横文字を並べて見たのですが、肩肘張っても仕方がないので親しみやすい言葉で言いなおすと「バイクの運転の仕方=ライディングとは、サスやエンジン等の各種味付けを変えたときに、ライダーはどのような動きとして感じるのか?また、その感じ方は、教科書で勉強した物理の法則で説明ができるのか?その人の感覚と物理の法則をつなぐ架け橋のようなものである。」と表現することができる。
「突き出しをするとハンドルが切れるスピードが速くなるように感じた。」というレースでよくある日常的な会話を例に、もっと具体的に説明すると、ハンドルが切れるスピードとは?ハンドルそのものが切れてロックするまでのストップウォッチで測った”時間”が短いことなのか?それともライダーがロックするまでのプロセスが短い時間となったのか?何処の誰の視点のスピードなのか?が曖昧ですね。前者は論理的な視点で、後者はライダーの感覚という視点、まったく違うものだったりします。
ライディングとセッティングを文字に表そうと両方の視点から見つめていくと、人間の感じ方と物理上の動作が違うことが多々あることに気が付きます。数は少ないけれど本屋で販売されている体系立てられたライテク本の多くは、この矛盾を抱えているものが多いけれど話がこんがらがるので言及しているものは少ない。
その理由とはなんぞや?結論から言ってしまうと、その大きな理由は三つある。一つは、人間の感覚はけっこう適当である。二つ、物理の法則は、複合的ではなく、ある側面だけを証明しているに過ぎない。三つ目は、ライダーが感じた挙動を、正しい言葉で表現すことができていない。となる。
補足すると、人間の感覚は経験を積み訓練することで、相対的な違いに対する判別は付くが、絶対的な値として表現することが難しい。分かりやすく言い換えると、人はプリロード1/8回しのような、ほんのちょっぴりの違いも敏感に感知できる反面、プリロードの位置を目隠しして、今はどの位置でしょうというような質問をされると、A級ライダーでも応えることができない。
特に、音楽の音符のように周波数という絶対的な決まりが揺ぎ無いコア(中心)となっているわけではなくて、モータースポーツは走る場所、時代によってレギュレーションも違うし、絶対なんてものがない。どんなに鍛錬しても、音楽家のような絶対音感のようなものは得られるはずはないのである。
また物理の法則で、バイクの挙動を説明しようとすると、いろいろなパーツが連動して動く為に、そのシミュレーション計算は複雑過ぎて、全てり要素を入れて考えられる分けではない。理論的なライテク本も、何か大きな現象のみを捉えて説明しているだけであることが多い。
バイクの挙動の部分的な理論の置き換え説明は、全体としてみると間違っていることもあるので鵜呑みにするのはいけないんですよ。話をまとめると、人間の感覚も適当、物理の法則の当てはめ方も適当、そもそも絶対なんてものが存在しないということになります。
それでは困りますね。正確に答えを導き出す方法が欲しい。そこで自分は冒頭で話した、ライディング理論を「その人の感覚と物理の法則をつなぐ架け橋」と定義してます。その両者の違いが、上手に紐解くことができる定義を言葉で分かりやすくまとめれば、きっと走りも上達するはずだと思います。
続く