2001年12月一覧

2001桶川最終戦で惨敗


[230] 2001桶川最終戦で惨敗 :2001-12-09 (Sun)



桶川最終戦で惨敗ながらも次期練習方針固まる。その1.レース内容編


とうとう桶川最終戦が終了して今年の参戦すべきレースは終了となりました。結果は予選B組5位(16位タイ:事実上のビリともいう)敗者復活A組3位(最終順位11位タイ/19人中)ということで決勝にいけませんでした。レースをこなすことでいろいろと得たものはあるため次に繋がったレースだと自分では思いますね。ということでいつもの様にレースの反省点と良かった点を自分なりに検討。


練習走行その1とその2


昨日と同じ路面の質にDK氏が整備したため若干グリップ路面のように感じたためエアを1.5にして走る。まぁまぁ走れるもののインへの求進力が少ない。そこで2ヒート目には1.0を試す。昨日練習したセットと同じ。1回目より走り易くコントローラブルなためこれに決定。


予選の展開


クジ運が悪くB組5番手となる。外周からのスタートとなってしまう。まずはスタート。となりのヤツがフライング(VTRで確認したらやっぱりそんな気がする。しかしルールでは予選は多めにみるといっていたので正攻法です。)しかし、それにつられずにフラッグに忠実に出たら外周からインへのラインをふさがれていた。そのまま前走者を抜けずにビリ。インを締められて果敢にプッシュできなかった。テクなし野郎と呼んでくれ。


敗者復活の展開


同じくグリッドは5番手ここは大きく勝負に出ようと他の選手が4人並んでいるところをわざわざ外周側に隣と間を離してグリッドにつく。この作戦は桶川常連の先輩F氏から盗む。またクラブの先輩からも駆動力を繋げる秘策をいただく。とりあえず成功初めてスタートでフロントが浮くほどリアにトラクションを掛けることができました。なんとか3位で2位を追い詰め様というところまではいきました。しかしそのままイエローフラッグで走っているうちに周回してゴールフラッグを振られて終了。「えっ」ってな感じでした。
ということで予選敗退。反省は明日の日記へ続く。




↑↑こんな感じで今年最後のレースが終了。なかなか良い天気で夕暮れも感動的でした。



考える左足の巻き


[229] 考える左足の巻き :2001-12-08 (Sat)



今日は桶川へ9時過ぎに重役出勤。調子と路面を見に調整のはずが午前の部が終了してチェッカーフラグが振られるまでガンガン走りこんでしまいました。調整の範囲を超えて走ってしまいました。まぁいいでしょう。明日はポイントもかかってない来年に繋げるレースですし。まずはYZF氏と絡む。速い。ついていくとオバーペース。速度差があるねぇ。一瞬膨らみミスするだけで後ろからブチ抜かれました。ほんの一周にコンマ5の違いのような気がするが200mのコースではかなりの差。いっそう鍛錬が必要であった。あと付いて行くときに気がついたのは、グリップするラインをきっちりトレースして走っていること。あと余計な左足によるトラクションの抜重をしないで走ってる。これはっ。と思いまねをして足を使わずに走る。うっこっちの方がきっちりイン付ける。また立ちあがりラインもトレースできるじゃん。進入時もリアが流れて軽くカウンターステアにいく寸前まで攻めたりして徐々にアベレージスピードを上げたりして。ほぉこれはいける。来週あたりもうちっょと自分の物にしよう。しかしあのYZF向きがタイトに曲がる。MFTの30cm~50cmインを立ち・u毆)あがって行きます。もちろんMFTの30cm~50cmをFTRは走っていく。これはマシンのフロントのキャスターから来るものか?まあそれはおいおい。とりあえずは明日だね。がんばろう。


↑↑このハンドルストッパーに使用しているボルトが曲がってしまいました。振られた瞬間とかの度重なるフルカウンターによって徐々に曲がったものと思われます。また数ミリのリングが噛ましてあるのですが、これも歪んで変形してました。とりあえずネジ穴はちゃんと生きていたのでレース終わったら変更と対策です。そうかぁリングが変形してボルトの頭が曲がるからネジ山は生きているのかも・・・。そういう設計かも。だんだんMFTの弱いところも見えてきましたね。まぁこの程度は日ごろのメンテナンスと観察で対処できるので平気ですけど。のりっぱなしの人には気がついたときには…。になりそうです。さすが手作りレーサーっす。若干乗り手の愛情が試されるバイクです。