CBR600RR’07一覧

足るを知るRidingとは

こないだ「足るを知る」という言葉をTV番組で聞き感動を覚える。Webで調べると正式には「吾唯足知(われただたるをしる)」という言葉で「足るを知る者は貧しいといえども心は富んでいる、足るを知らぬ者は富めりといえども心は貧しい」という意味を表す言葉らしい。他の偉い人の言葉を借りると「まことの豊かさは物資の潤沢さからのものではなく、心の豊かさからのものである」という解釈にも取れる言葉である。


 自分はブログのテーマ「No Race No Life(レースのない人生なんて…。)」とあるように今まではレースで楽しむことが生活の中心で、速く走る為には妥協なく考え付く限りのことは全て具現化して勝利を掴むというようなことをしてきた。20代から30代の給料は全てほとんど注ぎ込んで学んだ勝利のための方法論。満足の代償は散財の歴史となった。もちろん散財してもタイトルもトロフィーもゲットして満足を得られたのだから悔いはない。

 しかし満足したはずなのに、悔いがないはずなのに、その結果勝ち得たシリーズチャンピオンのトロフィーは終止符とはならず、今回もまた懲りずにアクセルを開けたいと思う自分もいる。懲りない自分。結局はどんなに結果が良かろうとも勝っても飽くなき追求心はやめられないし止らないのである。走り続けることでしか充実を味わえない自分がいるらしい。

 そこで自分は思ったシリーズチャンピオンをとることの満足感や楽しさは否定しないけれど、本当は自分が決めた範疇で走って満足を得ることができるのではないかと。まさに「吾唯足知」という走り方があるのではないかと思った。まことの豊かさはハイグリップタイヤでもなく最高のサスペンションでもなく、物資の潤沢さからのものではなくて、レースを走る心の豊かさから追求できるものではないのかと。

 若かりし頃に、ノーマル車両でジムカーナをする人を見て、全力で生活を投じてマシンをセットアップしている人に対して失礼な感じがして嫌いだったことがある。でも今思えば、スプロケットさえ変えていないのに明らかにきちんとメンテナンスとセットアップしている姿勢が垣間見えるすばらしいノーマルマシンで戦う人もいたし、あれはあれで意味のあることだったのかもと思う今日この頃。

 そして自分の目標はノーマルマシンにこだわることはないけれど、ある意味勝てるはずのパーツやセットアップを知っていてもCBR600RR’07そのままの姿でどれだけ扱いこなせるのか?自分のテクニックの限界に挑戦することにある。足るを知る走りとはなんぞや?もう一度自問自答するために走ってみたいと思う。きっと何か新しい満足感・充実感が得られるハズである。


ジムカーナとジェットヘルメット



 昔ジムカーナを始めたときに自分はフルフェイスヘルメットを被っていたのだけれど、上手い人は皆なジェットヘルメットで走っていることに気が付いた。なぜジムカーナ選手はみんなジェットヘルメットでフルフェイスヘルメットをかぶっていないのだろう?と疑問に思っていたときがある。ただ競技のスピード領域が低いだけではないはず…。
いろいろと考えてみた。

 自分なりに同期の友達とかと出した結論は、まずジェットヘルメットの方が視界が広いということ。パイロンスラロームとかをするときにアゴの辺りが開放していると視界が広くて、実際にその視界を意識して使用しているわけではないけれど、走りに役立っているのではないか?いわゆるライン取りの為。

 あとは軽さ、ジムカーナって視線を送るって表現を使うように、意識して視線を先に送ることでスムーズなラインを走れるようにしたり、バイクの旋回性を高めたりする技術がある。そのときに少しでも軽いことが楽に走れることになり、タイムに繋がるのではないかと考えた。

 まぁ、実際の所はヘルメットを変えても、たぶんタイムは変わらないだろうね。ヘルメットの形や重さだけでタイムが短縮するなら、そんな楽なことはない(笑)ただ一つ言えるのは、そんなちょっとのことでも、効果がありそうだと思うことの積み重ねがタイムを縮ませることに間違いはない。サスのセッティングの1クリックに相当しないかもしれないけれど…。

 そんな理由でジェットヘルメットを被り始めたのは10年以上も昔の話。でも今回は可能な限りフルフェイスヘルメットで走ろうと思います。かっこいいから(笑)今になって思うんだよね。あれは「やっぱり楽だから、みんなジェットヘルメット被ってた」んじゃなかったのかなぁって(笑)もういちど走しり比べて見て確認してみようっと。本当の理由を。