愛せるほどのプログラム

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http://www.studio-rikka.com/eve/
“人間型ロボット”(アンドロイド)が実用化されて、人間ができる全てのことができるハードウェアを持ち、人間と変わらない感情と得ることができた場合、人間には良い人がいるけれど、悪い人がいるのと同じで、悪いアンドロイドが人間に危害を加えることを自立的にできるようになるということであり、それを恐れる人間がアンドロイドを規制していく。なかなかロジカルに理解できる映画であった。
で、自分がその世界にいたとしたら、やってみたいことがある。自分の心を全てアンドロイドのハードウェアに移植してみたい。まるで銀河鉄道999のアンドロイドのように。もし自分の頭のメモリをめちゃ倍にして世界の論文と定理を全て蓄積した場合、何を生み出すことができるのであろうか?
話はずれたが、もし人間ができる全てのことができるハードウェアを持ち、人間と変わらない感情と得ることができた場合、アンドロイドに滅ぼされるだろうか?たぶん大丈夫だな。僕達エンジニアは、成長の過程のある時期に心と記憶をハードウェアに移植するような技術を生み出して、人間としての細胞は新しいランダムな個を生むための道具として使用する形の世界が形成されると思う。そうすればアンドロイドにハードウェアとしての体力と能力に対抗できると思う。
その技術さえ作れれば、この物語での課題であるアンドロイドと人間の共存は可能か?の1つの答えが生み出される。人間もロボットもアンドロイドとなるハードウェアを選ぶこともできるし、クローン人間を作って生身の体を選んでも良い。好きにすれば良い。
でもね、そこで大切なのは、どこまでプログラムのクオリティをあげられるかということだね。人より聖人な個性を作っても正論となり順応できないし、ネガティブな心の発生を作り出すと間違いなく争いごとになる。難しいねぇ。まさに銀河鉄道999のパラドックスという矛盾に陥る訳である。アンドロイドの思考のアーキテクチャを作る研究とは、まさに世界を作るということですね。あと30歳若かったら、本気でその研究をやろう(笑)
んっー、私の世界観や思考を分解していくと、映画の感想までもが幼少から青年となった感受性の高い時期に得た漫画からの世界観に支配されていると気が付く。成長期に何をするのかというのは、一生を左右するということなのですね。しみじみ。
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♪( ´θ`)ノ